ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

カーテン

いろいろと理由がありまして、台所と寝室の間にカーテンをつけることになりました。この理由に関して申し上げることはいささかプライベートに関わることになりますゆえ、多少フェイクを混ぜることをお許し頂ければ幸いなのですが、顔も出さない、本名も明かさない、年齢も非公開で、好き勝手にウソばっかり書いている私にそもそもプライベートなどという言葉を口にする権利があるのかどうかすら疑わしいこと甚だしいわけで、何をごちゃごちゃ言っているのかというと、単なる字数稼ぎです。

ふだんは開けっぴろげにしているところに突っ張り棒をつけて、ホームセンターで買ってきた出来合いのレースカーテンをつけて、びよっと広げたら完成です。実に簡単。すると、普段は台所から寝室が丸見えだったというのに、カーテンをつけたせいで寝室が見えなくなりました。

昔、帝が御簾(みす)越しにお話になったりしていたことを思い出し、相方もついに私たちの住まいに御簾がついたと大喜びです。

その際、「蚊帳みたいだ」と言ってしまったのですが、蚊帳だと『となりのトトロ』の世界になってしまい、せっかくの高貴な世界が台無しになってしまいます。ですから、蚊帳ではなく、御簾と言うべきであるという結論に至りました。何のことだかわかりませんね。仕方のないことです。

とりあえず、カーテンだということはさておいて、御簾であるということになりました。

さて、どうしていきなりカーテンを付けることになったのかと言いますと、それはみなさんにとってあまり興味のないことであろうと思いますので割愛させて頂きたいと思います。

「割愛」ってものすごい言葉ですよね。せっかくなので辞書で調べてみたのですが、省略したり捨てたりすること以外に「養蚕で、交尾している雌雄の蛾を離すことをいう。」という意味がありました。人間というのは己の都合でとんでもないことをするものです。「割愛!」と叫んで交尾している蚕のカップルを引き離すのです。ぜひ、やってみたい。合掌。

ぐわぐわ団からの自粛のお願い

ぐわぐわ団からの自粛のお願いです。

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例のウイルスのため、東京都や大阪府などで不要不急の外出の自粛要請が出ております。世の中がもんにょりとしておりますが、ぐわぐわ団からも読者の皆様に

不眠不休の外出を

控えて頂くようお願いを申し上げます。

特に、若い人たちにとって不眠不休の外出の自粛というのは辛いことかもしれません。私のような日露戦争を経験したような高齢者となると、不眠不休の外出などしたくてもできなくなるので、若いうちは不眠不休の外出をしておきたいという気持ちは重々理解できます。

夜のピクニック (新潮文庫)

この本を読んで、不眠不休の外出に憧れるのもわかります。前に映画で観たような記憶があるのですが、どういう話かすっかり忘れてしまいました。ただ、不眠不休なんてのはめっちょこ大変そうやなぁと思ったのは覚えています。

自衛隊でも不眠不休で延々と歩くという訓練がありますが、その様子をテレビで見たときも不眠不休なんてのはめっちょこ大変そうやなぁと思ったものです。しかし、自分自身は不眠不休の外出などまっぴらごめんなのです。

不眠不休の外出は健康を害します。睡眠というのはものすごく大切なことです。私のような日清戦争を経験したような高齢者となると、寝ていても夜中に尿意に襲われ、やむなく目を覚ましてしまうことも増え、ずっと寝ているということができなくなります。若い人であれば24時間寝ることもできなくもありません。たくさん寝ることができるというのも、若さゆえの特権なのです。不眠不休の外出をするよりも、延々と寝ることに力を注いで頂ければ幸いです。もちろん、息を引き取ってしまえば延々と寝ることができるのですが、余生を楽しむためにも、ここはひとつ悪あがきをしておきたいのです。 夜間の頻尿に悩まされようとも、熟睡ができずとも、荼毘に付されるのはもう少し後で結構です。

論点がずれてきたので話を戻しますが、改めて皆様にお願いを申し上げます。

不眠不休の外出を

控えて頂くようお願い申し上げます。合掌。

民主主義の限界

そろそろ民主主義の限界なのです。

突然、何を言い出すのかと思われるかもしれませんが、限界なんだから仕方がありません。民主主義とは「みんなのことは、みんなが話し合って決めること。」です。単に多数決で決めるのが民主主義ではありません。「話し合って」というのが重要です。

みんなで話し合って、みんなが納得できる道を選ぶことが民主主義なのです。

とはいえ、どんな人であっても未来というのはわからないので、みんなが納得できる道を指し示すなんてことができないのです。「こうすれば一番いいですよ」と誰かが言っても、別の誰かが「その方法はダメだ!」と言い出します。

例えば、例のウイルスのせいで、いろいろと大変なことになっています。今すべきことは全力で感染防止に取り組みつつ、みんなの生活を守ることです。そのために、現金給付は良い方法ですし、消費税を0%にするのも良い方法です。イベントを中止すれば国が損失を補償するとか、マスクを国で管理して公平に配るなんてのも良い方法だと思います。

いろいろ、こうすればいいなと思うことはあるのですが、私が「絶対これがベストだ!」と思っていても、みんなを説得するのは難しいし、納得してもらうのはもっと難しいし、じゃあせめて消費税を減税しようと言っても、そうすれば社会保障の財源が減るとかいろいろ言われて話が進みません。社会保障も何も、みんなの生活がぐちゃぐちゃになってエラいことになってからでは遅いから、今のうちにできることをしたほうがいいと思うのですが、とにかく、いろんな人がいて、いろんな考え方の人がいて、それはそれで正しいことなのですが、いろんな意見がありすぎて、みんなが納得できる道が選べないのです。

民主主義の限界です。

横綱2人に負けているし、目安となる3場所で33勝に1勝届いていない朝乃山ですが、相撲内容が高く評価されて大関昇進が決まりました。私は納得していません。無理に横綱に昇進させて、その後べよべよになった稀勢の里の存在を忘れたのでしょうか。相撲内容を評価みたいな曖昧なことをすると、後々どこかで無理が生じるのです。私が納得していない以上、民主主義ではありません。これこそ、民主主義の限界なのです。ご理解頂けましたでしょうか。合掌。