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読んで損する楽しいブログ

幸せは絶対評価

やままさんが書かれた記事を読んで、私も「幸せ」に関して思ったことを少々。

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私はもう、幸せになってしまっていた。
目指していた幸せのかたち(=有名人になって金持ちになる)とは違うから、気づきにくいと思う。
でももしかしたら、望んでいた「幸せ」より、ずっとよいかたちをしているかもしれない。
幸せというのは、歯を食いしばって、ふんばって、がまんして、掴み取るものだと思っていたよね。

隠していたのに、ついにバレてしまいました。「幸せ」というのは自分さえ気づけば、その時点で「幸せ」なのです。相対評価ではなく絶対評価。そもそも、幸せなんてのは数値化ができないので他の人と比べようがないのです。

石油王のほうがお金を持っていて裕福な暮らしをしていても、自分と石油王のどっちが幸せかなんてのは自分が石油王になってみないとわからない。いろんな気苦労があるかもしれないし、そもそも「石油がなくなったらどうしよう……」という不安で夜も眠れないかもしれません。私の生活も石油の恩恵を十二分に受けているので「石油がなくなったらどうしよう……」という不安はあるにはあるものの、眠れないほどではありません。 

先日、露出した下半身をライトで照らしながら車を運転していたとして43歳の男が公然わいせつの現行犯で逮捕されましたが、逮捕されるまではめちょんこ幸せだったかもしれません。そして、逮捕されたことで自分の過ちに気がついて新たな人生を歩めるきっかけになったとすれば、逮捕されたことも幸せと言えなくもありません。

その昔、岸和田で女子中学生が5名でランニング中、男が「パワーつけろよ。」と言って、 下半身を露出して走ってきたことがありましたが、男は走っているときめちょんこ幸せだったと思います。そして、男と鉢合わせた女子中学生5名はその後、パワーをつけて幸せな人生を送っていることでしょう。単なる露出狂の話といえばそれまでですが、当事者でないとわからないことですし、他の人と比べても意味のないことです。

私は露出狂になれと言っているのではありません。「幸せ」は気付きであり、比べたり、教わったり、買ったりするものではないということが言いたいのです。もう一度言いますが、私は露出狂になれと言っているわけではありません。そこだけは間違えないで頂ければ幸せです。合掌。