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バケツをひっくり返したような雨

先日、夜中にめちょんこ雷がゴロゴロ鳴って、ものすごく雨が降りました。夜中の1時ごろだったのですが、さすがの私も目が覚めました。爆弾が落ちたのかと思ったぐらい。空襲警報発令!空襲警報発令!と叫びながら、バケツをかぶって竹槍持ってついつい大騒ぎをしてしまいました。近所迷惑。

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という冗談はさておき、雨もすごかったのです。どしゃーって。そんでもって、雨がものすごく降っているときというのは「バケツをひっくり返したような雨」と言う人が多いのですが、これにものすごく違和感を感じるのです。

バケツひっくり返しても特に何もおきないからです。バケツの上下が逆になるだけで、だからどうしたという感じです。バケツをひっくり返したら椅子にして座ることができますが、椅子になったからといって大雨とは関係がありません。

もうお気づきかと思いますが、「バケツをひっくり返したような雨」という表現の裏には、「バケツの中にはすでに水がたくさん入っている」ことが前提としてあるようです。ただ、「水がたくさん入ったバケツをひっくり返したような雨」と言うとクドいのです。バケツの中に水が入っているのは当然ではないかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。石油王なら水ではなく石油をバケツの中に入れているかもしれません。先日、エアコンのクリーニングをしてもらったのですが、清掃をしてくれたお兄さんがニコニコしながらバケツの中の真っ黒な水を見せてきて「これだけ汚れていました」と説明してくれました。こんな水をひっくり返してしまった日には、普通の雨ではなく、井伏鱒二の『黒い雨』になってしまいます。放射性物質ではなく、単なる汚れやカビなので身体的な影響は少なめだと思いますが、とにかくバケツの中が透明な水とは限らないのです。

にも関わらず、「バケツをひっくり返したような雨」という言葉の裏には「透明な水がなみなみと入っているバケツ」があるわけです。バケツに入っているのが透明な水だと素直に想像できる人は心が綺麗で美しいのでしょう。バケツの中に何が入っているかなんてわからないし、何も入っていないこともある、そもそもバケツをひっくり返すのはよいこととも思えない。こんな思考回路で日々を過ごしているのです。生きるのが大変。合掌。