ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

私たちは海に甘えているのではないだろうか

海。それは全ての生命の母なる存在。ぞんざいに扱ってはいけません。

そして、海といえば名作『銀色のハーモニー』に出てきた霧島海というピアノが上手な少年の存在を忘れてはいけません。何度も読み返してはいたものの、ちょっと前に電子書籍で新たに全巻揃えました。揃えてしまって満足してしまっていますが、それはそれとして。

私たちは海に甘えているのです。それを痛感しなければいけない。

f:id:make_usagi:20210510201558p:plain

みなさんは新鮮な海の幸を楽しんではいないでしょうか。しかし、新鮮な陸の幸を楽しむなんてのはあまり聞きません。天然のブリをお刺身にして美味しい美味しいと食べていますが、野生の牛を活け〆にして新鮮な刺身を食べるなんてことはしないでしょう。海には天然を求めておきながら、陸には天然を求めていないのです。それは、無意識に私たちが海に甘えてしまっているからなのです。

私は野生の牛を食べるわよ!というビジエな人もいるかもしれませんが、そんなにやすやすと野生の牛は手に入りません。そもそも、野生の牛がどこにいるのかわかりませんし、野生の牛がそこらへんにいたら危ないじゃないですか。インドでは野生の牛が街でそこらじゅうを練り歩いていると聞きましたが、それはインドだからであって、私は何度か渋谷に行ったことがありますが、野生の牛が歩いているのを見たことはありません。

天然のブリではなく、養殖のブリも存在します。養殖のブリは脂が乗っていて美味しいですし、みかんブリとかおもしろいブリも存在します。しかし、養殖の牛ってあまり聞きません。これまた、私たちが海に甘えている証左なのです。海のパワーが養殖を支えているのであって、牛を養殖することはできないのです。養殖の牛が食べたいと思っても、陸では養殖ができません。実にやりきれない思いです。養殖の牛なら、脂が乗ってさぞ美味しいだろうと思うのですが、ダメなのです。実にやりきれない思いです。

牛を育てて食べるのは養殖とは言わず、畜産と言います。合掌。