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神様はいじわる

よく「神様はいじわるだ」と耳にします。この件に関して考察していきたいと思います。

まず、神様の定義がはっきりしません。浄土真宗の神様なのか、天台宗の神様なのか、きちんとした定義もせずに「神様はいじわるだ」と言っても特定ができないのです。Twitteのタイムラインやインスタの投稿を掘り下げることによって個人を特定する、いわゆる特定班という方々に特定を依頼するにしても、アカウントがわからなければ手も足も出ません。

また、日本は八百万の神という考え方があり、トイレの神様もいれば、貧乏の神様もいるわけで、アカウントを特定するだけでも困難を極めるのです。

「今日はたかしくんに会えなかった。神様のいじわる……」

と少女漫画の主人公がつぶやいたとしたら、果たしてどの神様がいじわるをしたのでしょう。単純に確率の問題でたかしくんに会えなかっただけかもしれませんし、たかしくんはすでにこの世を去っていて荼毘に伏されていたせいで物理的に会えなかったりする可能性もゼロではありません。そもそも、現在社会においてはスマートフォンという便利なものがあるのです。たかしくんに会おうと思えば会えなくもないわけで、それをしないで「神様のいじわる」というのは本人の努力が足りないだけかもしれません。

会いたいと思うのであれば、まずは戦略を練り、実行に移すための予算をたて、補給路や兵站を考えて、準備が整い次第動き出すべきです。たかしくんに会って何をするのか知りませんし、射殺するのか、簀巻きにして大阪湾に沈めるのか、そんなことはどうでもいいのですが、とにかく「神様はいじわる」で片付けるべき問題ではありません。

また、海外に目を向ければ、神様がたくさんいる世界観を持つ民族もいれば、唯一神の存在を信じる民族もいるため、余計にややこしい話になります。唯一神の場合はアカウント特定は容易ですが、唯一神がいじわるであるという証明を試みるということは、その民族との戦いを意味するわけで、難しい問題をはらんでいると言わざるを得ません。容易に「神様はいじわる」などと言わないほうがよいのです。合掌。