ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

けしかる

ちょっと前、とある歌番組で『ゆず』という二人組がよくわからん歌を歌っておられました。

『ゆず』という人たちは、ゆっくりゆっくりくだっていらっしゃったらそれでよいと思うのですが、どうにもこうにもゆっくりゆっくりくだっていくだけではおまんまが食べられないのでしょう。世知辛い世の中でございます。

そんな新しい歌を歌う『ゆず』の周りを踊り子たちがわいのわいのと取り巻いておりました。バックダンサーは歌手の引き立て役として、歌を盛り上げる者として振る舞わねばなりません。にも関わらず、なぜか踊り子たちはくねくねと『ゆず』の周りを踊り倒しておったのです。実にけしからん。まるで寺山修司が主宰していたアングラ劇団の天井桟敷かのように。

もちろん、お化粧や身だしなみは天井桟敷のようなアングラっぽくはありません。それなりのお化粧とそれなりの身だしなみで、華美にもならず、『ゆず』の人たちを引き立てるような、そういう身なりをしておりました。しかし、動きはくねくねと天井桟敷っぽく、それがなぜか珍妙に思えてならなかったのであります。

『ゆず』の人はゆっくりゆっくりくだらねばなりません。それはもう、今生の世では決まっていることなのであります。新しい歌を歌うことも生きるうえでは必要なのかもしれませんが、あくまでもそれは本来の『ゆず』に求められていることではないのです。佐々木健介が「正直スマンかった」と口にしたように、『ゆず』にはゆっくりゆっくりくだってもらいたいのです。

吉幾三が『雪国』を歌っていても、どうしても『俺ら東京さ行ぐだ』を歌っていた頃の吉幾三がちらりちらりと脳裏をかすめるのと同じです。これはもう宿命と言えることなのかもしれません。しかしながら、その宿命を背負って生きることもまた必要なことなのです。

クリント・イーストウッドが山田康雄の吹き替えにピッタリとハマってしまったため、クリント・イーストウッドはルパン三世しか演じることができませんでした。これも宿命です。『ゆず』の方は頑張ってください。合掌。