『はたらくくるま』という歌があります。あの歌は郵便車、清掃者、救急車、消防車という車両の労働を礼賛する讃美歌なのですが、逆にはたらかないくるまを暗に貶す歌でもあります。そして、はたらかないくるまを貶すだけではなく、はたらかないにんげんすら貶しているのであります。実にひどい歌です。
(上のはたらかないにんげんはイメージです。「私の姿にそっくりだ!誹謗中傷だ!名誉毀損で訴える!」と暴れられても困ります。)
ずっと申し上げていることではありますが、私たちはすでに働かなくても楽しく過ごせる未来に生きていたはずなのです。人類が月に行く時代から50年以上経っているのです。1970年の大阪万博で月の石が展示されていてものすごく人気があったと聞きます。
話は少し逸れますが、私の父は万博とかに行くと、なぜか人気のないパビリオンばっかり見る人で、聞いたことはないのですが、おそらく1970年の大阪万博に行っていたとしても、絶対に月の石は見ていないはずです。ラオス館やシエラレオネ館に行ってニヨニヨしていたはずです。ちなみに、私の父はあまりにも無口で、こちらから話しかけても得られる情報が極小すぎて今でもさっぱりどんな人なのかわかりません。
そんでもって本題に戻りますが、人類が月に行って石を持って帰って50年以上経っているわけですよ。そして今、なぜまだ人類は働いているのか。月に行くことができるテクノロジーをもってすれば、人類は働かずとものほほんと生きていくことができているはずなのです。でも、できていない。それはもはや過去の人たちが働かないための努力をしてこなかったからであり、許してはいけません。過去の人たちが頑張ってさえいれば、私たちははたらくことなく過ごせたはずなのに、なぜにテクノロジーを進化させなかったのか。はたらかないためにはたらかなかったのか。過去の人たちがもっともっと頑張っていれば私たちははたらかないにんげんとして生きることができたのではないでしょうか。ではね❤️合掌。