私のフォロワーさんのとあるツイートの表現が素晴らし過ぎて、めまいがするかと思いました。内容が内容だけにそのツイートをそのまま引用するというのははばかられるので、申し訳有りませんが一部分だけ抜粋させていただきます。
公共の物に微エロ萌え絵が使われていることに対して、
「男は公共の場でチンコふっくらさせても許されるのか」
なんだろう、この素晴らしい表現は。心が揺さぶられました。ツイート内容がどうのこうのと言うよりもむしろ、日本語の益々のご発展をお祈り申し上げたい。
何と言っても対象は微エロですからね。微エロで公の場所でもってギンギンになってたら安まちメールで公開処刑です。ほぼ死刑です。そんなことはわかっているのです。とはいえ、毛細血管に対する血液充填量の多い少ないで判断するようなこっちゃないのもわかっているのですが「チンコふっくら」の持つ言葉の力をもってすれば、ギリギリ執行猶予ぐらいにはなるのではないかという淡い期待感が生まれるのです。さっぱり意味がわかりません。
この際ですからはっきりさせておきますが、私の生涯の中でのベスト安まちメールがこちらになります。
発生状況:女子中学生が5名でランニング中、男が「パワーつけろよ。」と言って、下半身を露出して走ってきたもの。
安まちメールとは、大阪府警が発行しているヤバい犯罪が起きた時にすぐに教えてくれるメールサービスです。下手に広い範囲を登録してしまうと、変質者が現れましたメールがどっかんどっかんひっきりなしに飛んでくるので、自分の住んでいるところがもしや変質者しかいない地域なのではないかと錯覚してしまう、そういうサービスです。きちんとした使い方を心がけましょう。
「パワーつけろよ。」という言葉の持つ重みもまた、素晴らしいものがあります。私の座右の銘にしようかと思ったほどです。思っただけで、座右の銘にはしていません。そこまで血迷ってはいないのです。
話がいつになくすっ飛んでいますが、「ふっくらチンコ」の話題です。違います、「チンコふっくら」です。この表現方法が素晴らしいという話です。ギンギンではなく、ポークビッツでもなく、直接的に大きさで表現しているわけでもなく、機微に富んだ柔らかい表現でもって、微妙な状態のチンコを表現しているのです。こんな表現の方法があるんだと感動したのです。感動したのはいいのですが、どこに感動しているんだという話でもあります。感動していただけましたでしょうか。合掌。