そんなものはありません。
……12文字で終わってしまいました。私の通っていた学校は普通の公立の学校だったのです。りんかんがっこうではありませんでした。
どうしたもんでしょうね。リンカーン学校のWikipediaがあるんですよ。ネパールのカトマンズにリンカーン学校があります。イギリスにも2校あります。アメリカにはたくさんあります。残念ながら、日本にはありません。
みなさんの想像する「りんかんがっこう」というのは林間学校でしょう。都会の喧騒から抜け出し、自然の中で学ぶ。飯盒炊爨でごはんを作り、キャンプファイアーで炎を眺め、寝袋の中で一夜を明かすのである。
飯盒炊爨
ものすごい字を書くんですんね、はんごうすいさん。とくに、さん。
飯盒炊飯
ではないんですよ。 そんなことは十分理解しているのです。
インドアの人間なもので、わざわざ飯盒炊爨などしなくても、炊飯器でエレキテルパワーを使ってボタン一つでぽんと炊くほうが簡単でよろしい。なぜに平成の世に薪を使ってややこしい炊き方をせねばならんのかと思うのです。
リンカーン学校の思い出はありませんが、中学校の時の林間学校の思い出というか、よくわからない話をします。
飯盒炊爨って、普通はカレーだと思うんですけどね。メニューは各班で自由に決めていいよという話になったんです。私の班が選んだメニューが手巻き寿司。なぜ、そういう結論に至ったのか、カレーでよかったのに、なぜ手巻き寿司だったのか。
結果的にどうなったのかと言うと、えらいことになりました。まず、ごはんを炊くのからして難しいのです。飯盒でごはんを炊くと、おこげができます。おこげのあるごはんで酢飯を作ります。ありえません。灰がばんばん飛んでくるところで、酢飯を海苔で巻くのです。これもありえません。もはや、何がなんだか。
他の班に目を移すと、デシリットルとリットルを間違えたかのようなカレーが出来上がっていました。とろみの全くないカレーならまだマシなのです。カレーの香りのするお湯が鍋の中でぐつぐつと煮た立っています。これもまた地獄です。
手巻き寿司にするのも地獄、カレーにするのも地獄、そこらじゅうで阿鼻叫喚の地獄が広がっていました。食べることとはかくも辛いことだったのか。林間学校の思い出はこのようなものです。普通にごはんが毎日食べられることは幸せなのだと学びました。そして、キャンプで手巻き寿司をするのもやめておいたほうがよいと学びました。人生は学びの連続なのです。合掌。