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本能寺の変に関する新しい考察

歴史的な大発見をしてしまいました。日本の歴史を根底から覆す大発見かもしれませんが、その前に逆転オセロニアの話をします。

私が黒、相手が白です。36マスのうち、左一列だけ私が黒く染め、相手がそのほかの部分をきれいに白く染めました。でも、勝ったのは私です。*1こんなに極端な例は珍しいのですが、とにかくめちゃくちゃなゲームだというのがおわかりいただけたのではないでしょうか。ほんと、オセロニアするぐらいなら英検5級の勉強でもしたほうがいいと思います。

それはそうと、織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれたのは記憶に新しいことだと思います。ついこの前のことのようですが、1582年6月21日のことです。「十五夜に(1582)起きてしまった本能寺」とか「信長がイチゴパンツ(1582)で本能寺」などと覚えたらよろしい。どちらかというと、前者の十五夜より後者のイチゴパンツのほうがインパクトがあるので覚え方としては好きだったりしますが、実際は十五夜でもなければイチゴパンツを履いていたわけでもないので、好きにすればよいと思います。

仮に、イチゴパンツを履いていたとしても、それはもう証明のしようがないというか、本能寺の地面を掘ったら信長の遺体とイチゴパンツが出てきたというなら話は別ですが、自ら火を放って自害し、なんだかんだで今の今まで見つからなかった以上、信長イチゴパンツ説をこれ以上擁護するのも、歴史学者として言わせてもらうならば、厳しいと言わざるを得ません。

先ほどの文章ですが、冒頭の「仮に」は「歴史学者として言わせてもらうならば」にかかります。私は歴史学者ではありません。

いつものように話が素っ頓狂な方向に行ってしまっているので元に戻しますが、明智光秀がなぜ信長を討ったのか、はっきりとした理由がわかっていません。いわゆる歴史ミステリーというものなのです。でも今回、私はズバッとひらめいたのです。本能寺に泊まったからじゃないかと。本能寺に泊まったから、本能の赴くままに明智光秀が謀反を起こしてしまったのではないかと。

もし仮に、信長が本能寺ではなく、理性寺に泊まっていたら、明智光秀は理性的に考えて謀反は起こさなかったのではないかと考えたのです。

そして、東京都杉並区には理性寺という寺が本当にあるのです。

信長が理性寺に泊まっていたら、場所は東京ですので、京都にいた明智光秀が謀反を起こすことはどう考えても不可能です。本能寺に泊まったことが明智光秀を本能的に謀反に動かしたという証明にもなります。

ちなみに、理性寺は「りしょうじ」と読みます。

理性寺は、承応3年(1654)、大久保越中守忠辰・甚兵衛尉忠陰兄弟が両親の父荒之助忠富(法眞院日堯)母久世氏(理性院日然)のため、久世氏より土地を譲り受けて内藤新宿に創建したといいます。

さきほど、信長のイチゴパンツで覚えたと思いますが、本能寺の変は1582年、理性寺ができたのが1654年ですので、信長が理性寺に泊まるのは時間軸を考えると不可能だったのですが、細かいことを気にしてはいけません。合掌。

*1:なぜ私が勝ちかというと、オセロニアは相手の体力をゼロにするか、盤面が埋まった時点で相手より体力が多かったほうが勝ちなのです。上の場合、相手の体力は12,321、私の体力は16,744、よって私の勝ちとなります。本当にどうでもいい話ですが、念のため申し添えておきます。