そして、いんちきおじさんがお鍋のなかから登場することもありません。
そもそも、踊りとはものすごく体力を使うのです。年がら年中ヒマさえあればおふとんの上でごろごろしてうつつをぬかしている二人組にとって、何でもかんでも踊りを踊れるわけがありません。最近は筋力の低下が著しく、まさに老いを感じざるを得なくなりました。足が上がらなくてつまずくなんてのもしょっちゅうです。
この前、お亡くなりになった樹木希林さんは老いすら楽しんでいたと言われていますが、本当かどうかはわかりません。ただ、誰もが老うことで身体や心がどうなるのかを経験したことがないため、不安のほうが勝ってしまい、極端に老いに対して恐怖心を持つようになるのです。
昔は家にはおじいさんもおばあさんもいて、老いとは何かを、知らずしらずのうちに学んでいたという側面もあったのだと思いますが、今は核家族化時代であり、若者が老いを直接学んだりする機会は減っています。そんな中、老いに対して、恐怖心であったり、敵対心であったり、よくない感情が育まれてしまっているのかもしれません。
本来であれば、老人の経験が若者の道しるべとなり、よりよい道へと進むことができるようになるのです。ですが、現実は老人の暴走、若者の反逆、そんな二極化が進んでしまい、老人が若者に大切なことを教えることも少なくなりました。
本当にもう、何を書いているんだか、さっぱりわかりません。こんなことを書くつもりでは全くなかったのです。知ったかぶって書いていますが、知ったかぶりどころか、なんとなく当たり障りがあるようでないような、適当な文章が勝手に思いつくので、その思いつきをぽんぽこ打ち込んでいるだけなのです。てにをはぐらいはちょこちょこ修正していますが、あとは自動書記や御筆先みたいなもので、こういう流れだからこう書くんだな、ぐらいの適当さで文章を書いています。
とりあえず、何でもかんでもみんな踊りを踊っているわけではなく、お鍋のなかからぼわっといんちきおじさんは登場しません。テストに出るので復習しておくように。合掌。