ぐわぐわ団

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「体罰は善、暴力は悪」というすかたんな世迷言

ももはなさんのブログの記事、戸塚ヨットスクールの校長の「体罰は善」という考えを引用されて、ギッタギタのけちょんけちょんにされていました。

今のあなたは、社会から必要とされていません。 - 死体を愛する小娘社長の日記

私も「体罰は善」というスカタンな論理は間違っていると考えます。

漢字が間違っていますが、お気にならさずに。

さて、戸塚校長の意見はこちらです。引用してみました。

本来、体罰の定義は「進歩を目的とした、有形力の行使」である。体罰を受ける側の利益を目的としているのだから当然、「善」である。与える側にはなんの利益もない。見かけはよく似ていても暴力は与える側の利益のために行われる。要は、体罰と暴力は目的が逆なのだ。

簡単に言うと、体罰は体罰を受ける側に利益があるので「善」、暴力は暴力をふるう側に利益があるので「悪」なんだとか。一瞬、ほほうと思うかもしれませんが、ぐわぐわ団でしばしば使う論理のすり替えでしかありません。

というのも、利益のあるなしを誰が決めるの?という視点がすっぽり抜け落ちているのです。

われわれの子供の頃は体罰を受けると心の底から「ありがとうございました」と言えた。体罰を生かす能力があったからだ。今はその能力がないからすぐに「教育委員会に訴えるぞ」となる。

戸塚校長は、体罰は自分の利益だと考えていたそうですが、それは戸塚校長の考えでしかありません。体罰を受けた側が「痛い!」「ツラい!」と感じた場合、体罰を受ける側には利益もなく、逆に損失を被っているので「体罰は悪」になります。

結局、「体罰は善、暴力は悪」なんてのは独りよがりなじいさんの世迷言でしかありません。いろんな意見があるのは結構なことですが、もっともらしくすかたんな事を言う人が意外とたくさんいるので注意が必要だったりします。

そもそも、ぶん殴って教えるなんてのは野蛮人じゃないんだし、教える側の怠慢です。

「どうしてこんな簡単なことができないんだ!」と言われたら「じゃあどうしてそんな簡単なことをわかりやすく教えられないんだ!」と言い返せばいいのです。みんな、心の底ではできるようになりたいし、わかりたいし、覚えたいのです。そんな気持ちを無視して暴力を振るうなんてことをしていてはダメなのです。

こんな簡単なことがわからない人には渾身のタイガードライバー'91をお見舞いしたいと思います。合掌。

▼ももはなさんのブログの記事はこちらです▼

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