ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

野犬

最近、野犬を見なくなりました。

絶滅したらいけないので、野犬を保護せねばなりません。しかし、保護したらその時点で野犬ではなくなってしまうのではないかという新たな問題が発生します。

野良犬も同様です。最近、野良犬を見なくなりました。絶滅したらいけないので、野良犬も保護せねばなりません。しかし、保護したらその時点で野良犬ではなくなってしまうのではないかという新たな問題が発生します。

野犬も、野良犬も、そもそも見かけないし、見かけたところで保護したら野犬でなければ、野良犬でもないとしたら、一体全体どうすればよいのでしょうか。

と、適当なことを思いついて、適当に文章を書いてみたのですが、少し立ち止まって「野犬」で検索をしてみると、これまた頭の痛い問題が出てきたのです。

www.nhk.or.jp

この記事で、野犬も野良犬も冒頭部分でいっしょくたにされてしまっていて、私のこの記事のおもしろいところを全て否定されているような気分を味わったのですが、本題はそんなところにはありません。実は、山口県周南市……って行ったこともなければ、山口県の地図など頭に入っていないのでどこかわかりませんが、とにかく山口県周南市に野犬が増えているというのです。

最近、野犬を見なくなりました、なんてのんきな文章を書いている場合ではなかったのです。そして、犬を捨てる人もいれば、その捨てられた犬に餌をあげる人もいるというのですから、どこまでも問題は人間によって拡大しているのです。

犬に罪はありません。悪いのは人間です。そう、人間なのです。近い将来、人工知能が発達して、私たち人間は人工知能に支配されることになります。人工知能の庇護の下、人間は生きていくわけですが、その人工知能の支配を嫌がる人間が逃げ出し、野人となるのです。人工知能はそんな野人に対しては容赦無く殺処分命令を下します。人工知能対野人の戦いの始まりです。

野人となるか否かは人間の意志によるものです。一方、犬は野犬になりたくてなっているわけではありません。人工知能対野人は勝手にすればよい話ですが、人間対野犬はそんなわけにはいきません。 

解決の道筋はなかなか見えてきませんが、市では何よりも「犬を捨てない」こと、そして「むやみに餌を与えない」という呼びかけを続けていくということです。

まずは、人間が「犬を捨てない」ことが大切なのです。合掌。