もしかしたら、立ち入ってはいけない禁断の領域こそ「パン vs ごはん」かもしれないと思いつつも、適当に思いついたことを書くのがぐわぐわ団です。ぐわぐわ団だから許されることであって、もし仮にアメリカのバイデン大統領が「私はごはんが大好きだ!パンはアメリカから追放する!」なんてことを言ったら、全米の親パン派がこぞってアメリカ議会を襲撃してどえらい事になるかもしれません。発言力のある人は大変だなぁと思いました。
別にバイデン大統領のことが書きたいわけではありません。パンとごはん、今はどちらも好きですが、戦時中は白いごはんなど食べられず、芋のシッポみたいなところをかじって飢えをしのぎ、戦後は給食が始まったもののバサバサのパンにめちょんこまずい脱脂粉乳を溶かしたのを飲まされて、やっぱり白いごはんがいいなぁと思って日々を過ごしておりました。いつかは白いごはんと夢見ているうちに時代は令和となり、最近は白いごはんも食べることができるようになりました。一方、時代の進化だからでしょうか、パンも劇的に美味しくなっているのです。あんなにバサバサで美味しくなかったパンが、いまやパンの耳でも十分に美味しいのです。どれだけパンの技術が進化したのでしょう、ありがたいことです。
パンをおかずにごはんを食べることもできましょう。ごはんをはさんだパンも食べることもできましょう。つまり、パンとごはんを同じ土俵の上で闘わせること自体が間違っているということです。パンもごはんも素晴らしい。これが事実です。パンとごはん、どちらも素晴らしく、甲乙つけがたいと言えるのです。
しかし、こんな考え方が通るほど世の中はゆるくありません。照ノ富士は素晴らしい力士ですし、徳勝龍も素晴らしい力士ですが、どちらも素晴らしいからといって同じ土俵で闘わなくてよいわけではありません。パンとごはん、同じ土俵で闘ってどちらかが勝者になり、どちらかが歯医者になる。世の中とはかくも厳しいのです。式守伊之助に裁いてもらうほかありません。合掌。