なんだかんだとカタカナが多すぎないかと思うのです。
別に美しい日本語などと言うつもりはありませんし、そもそもフランス語の話者である私にとって日本語が醜くなろうがどうでもいいっちゃいいのですが、それにしてもカタカナが多すぎると思うのです。
先日、ニュースを見ていたら「ステルスクラスター」という言葉をきょろんと使っていて、なんのこっちゃと思っていたら、例のウイルスで無症状の人が他の人を感染させ、感染させられた人も無症状だから見えない形でどんどんクラスターが広がっていくみたいな意味なんだとか。言われたらわかりますが「ステルスクラスター」なんてカタカナでとりあえず偉そうに伝えようとするその姿勢が気に食わないのです。
他にもたくさんカタカナが世の中には増殖しています。トロピカルージュの次はデリシャスパーティですよ。私の大好きなスマプリなんかは単にスマイルですからね。一番最初は「ふたりはプリキュア」ですからプリキュアの前にカタカナなどなかったのです。それがいまやデリシャスパーティですよ。いや、デリシャスパーティ♡プリキュアは本気で楽しみ。
他には……そうですね、エハラマサヒロとか、ですかね。カタカナですからね。ロバート・フェルドマンならカタカナでも仕方がないと思うのですが、エハラマサヒロはカタカナにしなければならないのでしょうか。甚だ疑問です。
いっそのこと、カタカナ税でも取ればいいのではないでしょうか。カタカナを一文字使うたびに10円とか。ぐわぐわ団はいっこうに構いませんよ。それどころか、ぜんふひらがなでかいてもいいぐらいです。そのほうがすっきりするかもしれません。
ただ、そうなるとエハラマサヒロが自分の名前を書くたびに70円取られるわけですし、ロバート・フェルドマンなどは150円も取られる……と思いきや、正しくは ”Robert Alan Feldman” なのでセーフ。結局のところ、エハラマサヒロだけが損をする世の中のようです。合掌。