大阪で桜が開花が発表されました。
大阪管区気象台の職員の方が「桜の標本木で5輪の開花を確認しておりますので、『桜の開花日』ということにしたいと思います」と仰ったのです。実に回りくどい。
「桜の標本木で5輪の開花を確認したので、『桜の開花日』にします」でよいのです。にも関わらず「確認しております」とまだるっこしい言い回しをした挙句に「……ということにしたいと思います」とこれまたどうしてこんな言い方になってしまうのかと、私はフランス人ですが思うわけです。いくら謙遜の国日本であったとして、このように回りくどく言う必要はありません。フランス語なら「ジュティーム、ボンジュール!」で済むではありませんか。
もっと言うと、気象台の職員の方は桜の開花宣言をする権限を持っている方のようです。しかしながら「……と思います」と断定をしませんでした。もしかしたら気象庁長官がハンコをぼーんと押さないと宣言にはならないのかもしれませんが、それはあくまでも形式的なことであって、気象庁の職員の方の判断が覆ることは万が一にもないのですから「……と思います」とお茶をにごす必要はないはずです。もしかして「5輪の開花」と言ってしまったけど、実は4輪だったらどうしよう……という不安があったのかもしれません。でも、それを加味しても自分で5輪の開花を確認した以上、腹をくくる必要があるのではないでしょうか。
なんでもかんでも曖昧にすればよいというものではありません。もちろん、日本の美意識として断定を好まないということは重々承知しております。しかしながら、一時が万事、曖昧にしていてよいはずがありません。全てをイエスかノーのイエスノー枕で二択にしなさいというわけではないのですが、桜の開花日はイエスかノーでよいはずです。「……と思います」など絶対に口にしてはいけないのです。
「あなたにはお給料が支払われます……と思います」と言われたらどうしますか。「……と思います」ってなんやねん!と怒るでしょう。桜も怒らねばならないのです。今こそ立ち上がれ、桜たちよ!合掌。