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ゾッとした話

今週のお題「ゾッとした話」

YOSHIKIが松田聖子に楽曲提供をしたのを覚えてらっしゃる方はいらっしゃいますでしょうか。何があったのか知りませんが、小室哲哉が乃木坂46に楽曲提供したのと同じぐらいゾッとしませんか。しませんよね。するわけないですよね。ていうか、乃木坂46に小室哲哉が楽曲提供したことなんて全然知らなかったというのに、餃子の王将で何か食べていた時に店内でかかった曲を聴いて「なんか知らんけど小室の曲っぽくない?」と相方に聞いたら「小室の曲ですよ」と教えてもらってものすごくゾッとしたことを覚えています。

「運命」とか「田園」とかは、ヴェートーベンの曲だってわかりますが、あれはすでに何度も聴いて覚えているからであって、ヴェートーベンの新曲を聴いて「あ、ヴェートーベンの曲だ!」って言えるかというと言えないハズなんですよ。当然、モーツァルトであろうが、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ドストエフスキー、これらのすごい作曲家の方が新曲を出したとしても、チャイコフスキーが作った曲だ、ラフマニノフが作った曲だ、ドストエフスキーが作った曲だとわかれといわれてもわかるわけがない。

にも関わらず、小室哲哉の作った曲は乃木坂46が歌っても「ああ、小室の曲だ……」としみじみすることができるのです。しかも初見……じゃないな、初聴でですよ。例え、小室哲哉が三山ひろしに楽曲提供しても、三山ひろしが歌うのは小室哲哉の曲なのです。決して三山ひろしの歌ではない。いくら後ろでけん玉をしようとも、小室哲哉の曲を歌っていることになるのです。

偉大なる作曲家の誰もが成し遂げられなかった初聴で作曲者がわかるという偉業を小室哲哉が成し遂げているというのはもっと称賛されてしかるべきことであり、逆に小室哲哉以外にはムリではないかと思うとゾッとするわけですが、よくよく考えると、松田聖子が歌ったYOSHIKIの歌も「あー、言われればYOSHIKIが作ったっぽいな」ぐらいには思えたので、小室哲哉の後釜はYOSHIKIなのかもしれません。それはそれでゾッとします。合掌。