笑ってちょうだい、今日もまた
誰にも遠慮はいりません
誰にも遠慮はいらないと言われようとも、今日は無礼講だと言われようとも、その言葉を真に受けて羽目をはずすなんてことをする人は、相当浅はかな人ではないでしょうか。「足を崩してくださいね」と言われて、正座から胡座にするぐらいはしますが、その程度です。足を伸ばして、べよべよとする人はいません。そこには節度というものが存在するからです。
ドリフターズの方々が、懸命に演じているのです。いくら遠慮はいらないと言われても、どうして笑うことができるのでしょう。理解に苦しみます。頑張って雷様を演じておらえる、いかりや長介、仲本工事、そして高木ブーを笑うなんて、人として品性を疑います。
頑張っている人を応援するのは当然のことです。コントという演劇に真剣に取り組むドリフターズの姿を見て、こちらも応援するのは当然のことです。笑うなんて、とんでもないことです。
にもかかわらず、ドリフターズが演じているところに、おばさんの笑い声をかぶせてくるテレビの演出がひどい。テレビの凋落が叫ばれて久しいですが、その端緒を開いたのがこのような演出なのです。志村けんの素晴らしい演技に対して、それを陵辱するかのような笑い声を容赦なく畳み掛けてくるのです。志村けんも今に至るまでよく耐えたものだと思います。ブラウン管の向こうからでも伝わる演者の息遣いが、指先の動きや視線の向きが、細かい一挙手一投足が、演じる人の生き様をひしひしと伝えてくるのです。そんな迫真の演技を、笑い声で打ち消してどうするのでしょう。
テレビが商業化してしまったことがそもそもの転落の始まりなのだと思います。文化を伝えるという使命を捨てて、利益のみを追求する資本主義に走ったことが、今のテレビの低迷につながっていることにはもはや、誰も異を唱えないでしょう。ドリフターズの演技を笑ってちょうだいなどと、どの口が言えるのか。
笑うのであれば、ぐわぐわ団を読んで笑いましょう。合掌。