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平和教育の功罪

私が若かりしとき、小学校でキッツい平和教育を受けてきました。

戦争で被害を受けられた方の体験談を中心に話を聞いたり、映画や本を見たりして、「戦争は残酷だ」「戦争はひどい」といったトラウマを植え付けられます。「戦争」と聞いただけで恐怖で寝られなくなるようなトラウマをぐりぐりと植え付けられて、それはもう大変でした。今はどのような教え方をしているのかわかりませんが、とにかく反射的に「戦争はダメだ!」と思わせるような教育であったと記憶しています。

しかしながら、本当に考えるべきは「なぜ戦争になったのか」だと思うのです。当時の政治的な背景や日本の置かれた経済状況などを合わせて、どうして戦争に至ったのかを学ぶほうが大切ではないのでしょうか。「戦争」と聞くだけでトラウマになって、思考が停止してしまうようにしてしまっては、過去を振り返ることができません。「なぜ戦争になったのか」をしっかりと考えさせるような、そんな教育こそが本当の平和教育であると考えます。

明智光秀によって、織田信長が討たれたのが「本能寺の変」です。本能寺の変において、織田信長がいかに残酷な方法で殺されたのか、それはもうイヤと言うほど聞かされてトラウマになってしまいました。「本能寺の変」も言い直せば戦争です。「戦争は残酷だ」「戦争はひどい」ということを「本能寺の変」でもって、ぎょんぎょん教えられたのです。

しかし、本当に考えるべきは「なぜ戦争になったのか」です。明智光秀が織田信長に反旗を翻し、「本能寺の変」を起こすに至った動機を考えずして、真の平和教育とは言えません。いろいろな説があります。昔、織田信長に恥をかかされた腹いせにやったとか、実は好きで好きで仕方がなくて愛情の裏返しで討ってしまったとか、何となくとか、とりあえず有名になりたかったとか、明智光秀が亡くなってしまっている以上、本当はどうだったのかを知る方法は、私たちが明智光秀の立場に立って、仮説を立てて、考えていくしかありません。

歴史にもしはありませんが、もし「本能寺の変」がなかったら、織田信長は今、ものすごいご長寿おじいちゃんになっていることでしょう。返す返すも残念なことです。合掌。