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厳しさも時には必要ではないのか

こないだ、ガストでお弁当を頼んだら容器に「この容器は環境にやさしいプラスチックでできています」と書かれていて、そういえば私たちはここんところずっと環境に対してやさしくしてきたなぁと思った次第です。

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何かというと二酸化炭素の排出量を減らすとか、ゴミを分別するとか、下水処理をしっかりするとか、植樹をするとか、なんだかんだとやさしさでいっぱいだったのではなかったでしょうか。 何とかがいっぱいというと、ついついH2Oの想い出がいっぱいの「しあわせは誰かがきっと運んでくれると信じてるね」という歌詞と、その歌詞を「しあわせは自分から掴むべきだ」とディスった小学校のときの先生を思い出します。その先生がしあわせだったかどうかは定かではありません。そんなことはどうでもよいのです。

私たちはとことん環境にやさしくしてきました。そして、環境も私たちにやさしくしてくれたのなら文句は言いません。実際は、地震、雷、火事、親父と、めちょめちょに厳しいのです。とくに台風や大雨、例のウイルスなんかも含めると、環境は私たちにげっちょんげっちょんに厳しくあたってくるのです。もっとやさしくしないといけないのだと考える人もいますが、もしかしたら環境がちょっと我々のやさしさにつけあがっているのではないかと思えなくもないのです。

厳しさも時には必要ではないのか。

熱々のお湯をシンクに流したり、燃えるゴミの中にこっそりプラスチックゴミを混ぜたり、石炭ストーブを使ってみたり、そんなことをしてもよいのではないでしょうか。

しかしながら、熱々のお湯をシンクに流したらぺこんと音が鳴ったりしますし、プラスチックゴミをこっそり混ぜると近所のおばさんの目が気になりますし、石炭ストーブなんてそもそもどうやって使ってよいのやらさっぱりわかりません。

もっと言うと、私たちも環境の一部なのです。生きている以上、何かしら環境に負荷をかけているのです。持ちつ持たれつでいきたいものです。合掌。