ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

ひとりで合唱

先日、テレビを見ていたら童謡を合唱する番組をしていました。いったいどういう理屈でそんな番組を見ていたのかはともかくとして、童謡を合唱する番組を見ていたのです。とはいえ、例のウイルスのせいでみんなで合唱するのは飛沫飛びまくりであかんということから「ひとりで合唱」という、合唱というコンセプトをぶち壊す、あまりにも斬新なフレーズで合唱をしましょうと言い放っていたのです。

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みんなで歌うから合唱であって、ひとりで歌うのは独唱です。もういちど言いましょう、ひとりで歌うのは合唱ではなく独唱です。それはもう、昔から、何年も何年も前から、そう決まっているのです。もしかしたら、織田信長がぶいぶいいわしていた時代からそうだったのかもしれませんし、少なくとも私の生まれる前からそうだったはずなのです、知らんけど。

言いたいことはわからなくもありません。合唱がしたいけど、今はできない。だから一時的にやむをえず「ひとりで合唱」をするのであって、ひとりで歌っているけど気持ちはみんなと一緒に歌っているということが言いたいのでしょう。わかります。言いたいことは重々わかります。みんなで歌ったほうが楽しいですし、気持ちも晴れますし、生きる糧となることもわかります。しかし、ぐわぐわ団はあえて厳しく物申します。「ひとりで合唱」はおかしい。独唱です。ひとりで歌うのは独唱なのです。そこを曲げて「ひとりで合唱」を認めるわけにはいかないのです。気持ちはわかります。わかりますが、ならぬものはならぬのです。

「ひとりで合唱」なんて認めてしまうと、他のことも全てがゆるゆるになってしまい、規律が保てなくなります。何がゆるゆるになって、どうなってしまうのかはさっぱりわからないのですが、とにかくこういう時代だからこそ規律をしっかりと保って、大きなことはできないけれど小さなことからこつこつと、しっかりと生きていくべきなのです。そして、最後の言葉を「合唱」で〆るつもりだなと思われたかもしれませんが、そんなことはしません。ならぬものはならぬのです。合唱。