不謹慎ですが、後ろに「87歳でした。」と言うだけで、なんとなく亡くなってしまった感が漂うのです。なんのこっちゃと思われた方、まずはこちらの文章をお読みになってください。
(上の絵は単なる使い回しで今回の記事とは何の関係もありません)
「うちのおじいちゃんは大工さんでした。」
この文章だけだと、おじいちゃんが生きているか、死んでいるかはわかりません。しかしながら、後ろに「87歳でした。」を添えましょう。
「うちのおじいちゃんは大工さんでした。87歳でした。」
なんとなく、亡くなってる?と思いませんか。過去に大工であったことは確かです。よくわからないのが「87歳でした。」なのです。いつ87歳だったのか、はっきりしないのがそもそもの問題で、もしかしたら今も元気でピンピンしていて95歳かもしれませんが、大工を辞めたのが87歳だった可能性もあるのです。ただ、はしょりすぎているので何となく「ああ、お亡くなりになったんだな」感が漂うのです。
おじいさんでなくてもよいのです。グラタンでも構いません。
「昨日の夕ごはんはグラタンでした。87歳でした。」
それこそ、グラタンが亡くなった感がすごいのです。グラタンはおかずであって、そんなに長生きしません。しかし、87歳でしたと言い切られると「ああ、亡くなってしまったのか……」と思わざるを得ないのです。
「新しいiMacが欲しかった。87歳でした。」
お年寄りがiMacが欲しいと願いつつも亡くなってしまったように受け取ってしまいます。
「冷蔵庫を買った。87歳でした。」
よもや冷蔵庫が87歳というわけはありませんが、何となく誰かが亡くなった感がもんにょりと漂うのです。これはもう、どうしようもありません。「87歳でした。」の魔力というか、言葉の力、ワードパワーなのです。
これを応用しましょう。「ちくしょう、あいつオレに失敗を押し付けやがって!」と愚痴を言うときには後ろに「87歳でした。」と付け足すのです。
「ちくしょう、あいつ俺に失敗を押し付けやがって!87歳でした。」
意味がわからん。合掌。