ぐわぐわ団

読んで損する楽しいブログ

春なのに

「春なのに」という歌があります。STAP細胞はあるかどうかわかりませんが、「春なのに」という歌は本当にあるのです。ありまぁす!

……ぐわぐわ団はいつになったらSTAP細胞を許すのでしょうか。たぶん、小保方さんにお会いしてサインをもらうまでは許さないでしょう。ていうか、本気で小保方さんのサインが欲しいし、小保方さんにお会いしてSTAP細胞とか関係のない、とてつもなくしょーもない話をしたいと思っています。できればぐわぐわ団に記事を寄稿してもらえたら嬉しいです。

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さて、話を戻しましょう。「春なのに」という歌は「春なのにおわかれですか」という歌詞があるのですが、何となく「春なのにおかわりですか」でもよいのではないかと思うのです。

春であるにも関わらず、おかわりをしてしまう後ろめたさを歌うことにものすごく価値があるのではないかと思うのです。春だからこそ食欲も増し、美味しいものがたくさん食卓に並ぶ。欲望のままに食べていれば体重が増え、エラいことになってしまいます。だからこそ、「春なのにおかわりですか」という警鐘を鳴らす必要性があるのです。人類の健康のため、柏原芳恵にはもうひと頑張りしてもらわないといけません。

「春なのに」がある以上、「夏なのに」「秋なのに」「冬なのに」「梅雨なのに」「正月なのに」という進化系も存在します。人間は破滅へ向かうことのないよう、たゆまぬ努力を続ける必要があるのです。春だからといっておかわりをしてはいけない、それは夏だからといっておかわりをしてはいけないことにもつながりますし、秋だからといっておかわりをしてはいけないということにもつながります。

人類は賢いように思えて、実はどこかですっとんきょうなところがあります。科学の進化が大量破壊兵器を生み出し、コンピューターの進化によって便利になればなるほど、その便利さに振り回されて苦しみが増えていっているのです。もう何を書いているのかさっぱりわかりません。そもそも「春なのにおわかれですが」が正解で「春なのにおかわりですか」なんて話そのものがおかしいのです。合掌。