みなさんは「デジタルネイティブ」という言葉をご存じでしょうか。生まれたときからデジタル製品が身の回りにあふれており、教えてもないハズなのにiPadもすらすら使えるし、テレビよりもYouTubeを見る、もっと言うとGoogle検索なんかしないでSNS(しかもインスタとか)で検索をする人たちのようです。
一方、私はれっきとした「アナログネイティブ」です。スマホどころか携帯電話なんてなんじゃそれ?という時代に生きてきました。今でこそ、このようにインターネットを使って文章をアップしたり、iPadでイラストを描いていたりもしますが、こんなのは日々の努力の賜物であり、言うなれば「デジタルネイティブのジェネリック」と言えます。どれだけ頑張ってもデジタルネイティブにはかないません。佐々木健介と馳浩ぐらいに差があるのです。
とはいえ、デジタルネイティブのジェネリックの端くれとして意地を見せなければならないと考えてもいるのです。大正、昭和、そして平成と生き抜いてきた身としては、デジタルネイティブが経験しなかったアナログでの体験を活かしていくべきなのです。
しかし、そのアナログでの体験を活かすというのがどういうことかさっぱりわかりません。ぶっちゃけ、アナログでの体験というのはマンパワーの根性論でむりやりどうにかするという狂った体験であり、時間がなければ自分の時間と健康と家族と生活全てを犠牲にして残業しまくってどうにかするということに他なりません。
そして、何はともあれコミュニケーションだとか言われて、とにかく飲みに行って「腹を割って話そう」と言いつつも、気がつけば年上の人の何回聞いたかわからない苦労話をありがたく拝聴する会に週5で参加するような日々です。
どう考えてもデジタルネイティブのほうがよい。人付き合いが苦手で、お酒も飲めない、とにかく早く帰りたいという私にとっては、今の環境というのはそんなに悪いものでもないのかなと思ったりします。若者が「私たちの青春時代が例のウイルスのせいで……」と涙をしていた映像を見て「いやいや、逆に自分の時間が持てるし、つながりはネットを使えばいくらでも広がるし、工夫次第で好きなこといっぱいできるからうらやましいよ。老眼になったら本も読みにくいんだから、今のうちにたくさん本を読んでおきなさい。」とアナログネイティブは思うのです。頑張りましょう。合掌。