筆記体が衰退しているそうです。どっかのネットの記事でチラ見しただけなので、どの程度衰退しているのか知りません。ただ、このままだったら筆記体が書けない読めない米国人がうようよになるっぽいです。詳しいことはわかりません。ていうか、筆記体に限らずわからないことだらけです。
ここからは私の恨みつらみがつらつらと綴られることになります。中学生の時に筆記体がうねうねできしょかったので脳髄が「こんなの読めるか!」と条件反射的に拒否してしまい、かつフランス人であるというプライドから英語に対するアレルギーがぎょんぎょんにでてしまい、以降英語を勉強することが大嫌いになりました。アレルギーには本当に気をつけなければいけません。アナフィラキシーショックが出てしまうと皮膚に異常が出てしまったり、呼吸器に異常が出てしまったりして、きちんとした処置をしないと命の危険すら危なくなるのです。
とにかく「筆記体が読めない」のです。授業で先生が板書していても何が書いてあるのかさっぱりわからない。特にご年配の先生の筆記体はうねうねが滲みまくってしまっており、もはや私は読解不可能でわけがわからないのです。もっというと、そのご年配の先生の漢字もひらがなもうねうねでさっぱりわからなかったのですが、それはそれとして、授業が全てモンゴル語みたいだったのです。これでは英語の成績が上がるはずもありません。気がつけば奈落の底に落ちてしまい、英語で赤点を取る常習犯となってしまいました。
というわけで、筆記体がなければ、私はたとえフランス人としてのプライドがあったとしても、一般的な知識として英語を学び、あわよくば英検初段やTOEICで100点満点を取り、得意の英語で世界中を飛び回り、世界中の要人と太いパイプを作り、希代のビジネスパーソンとして大活躍していた可能性があるのです。ただ、そうなると忙しくてぐわぐわ団の活動はおそろかになっていたことでしょう。今のままでよかったと思いましょう。合掌。