よく「たまごが先か、にわとりが先か」という議論になります。どっちが先かよくわからんということで生物学的にも哲学的にもいろんな人がわーすか騒いでおります。しかしながら、このたび岸和田の誇るセントジョーンズチャーチ大学の名誉教授でもあり哲学者でもある薮坂太郎先生が結論をお出しになり、その論文が科学雑誌「学研・2年の科学(略してネイチャー)」に掲載されました。おめでとうございます。
薮坂先生は論文の中で「たまごが先である。理由は私がそう決めたからだ。」と心強い決意を表明されました。つまり、たまごが先であると薮坂先生が決めてしまったということです。サザエさんの隣の家に住む伊佐坂先生もこれにはびっくりしたことでしょう。
要は決めるか、決めないかの問題だったのです。「たまごが先か、にわとりが先か」どちらかわからない以上、今までの人たちはとにかく決めかねるという態度をとっていました。もし間違えたらどうしよう、もしかしたらにわとりが先かもしれないし、たまごが先かもしれない。そういう良心の呵責が結論を先延ばしにしていたといえます。しかしながら今回、薮坂先生が「たまごが先である」と決められた以上、もはや「たまごが先だ」という結論にしかならないのです。「どうしてだ?」という問いに対しては気丈に「薮坂先生がそう決められたのだ」と言ってしまえばよいのです。
世の中にはなかなか決められない人がいます。どう考えても答えがひとつしかなくても、もしかしたら別の答えがあるかもしれないと躊躇して決められないのです。そして判断と結果を他人に委ねてしまうのです。そういう人がとても多い。それは自己責任という言葉があまりにも重いからでしょう。最近は就職氷河期時代の人たちが両手に刃物を持って大暴れしたりしていますが、あれも自己責任の重さに耐えかねての暴挙です。本来、人間は自己責任という鎖に縛られるものではありません。相互扶助という柔らかな糸で結ばれて然るべきです。
何はともあれ、薮坂先生が「たまごが先だ」と決めてしまったので、これからは「たまごが先か、にわとりが先か」論争を禁止します。薮坂先生に敬礼。合掌。