「置かれた場所で咲きなさい」という本がございますが、私は以前から「なんでやねん、ばーか!ばーか!」と高尚で崇高な批判をしてきたのでございます。なんで頑張らんといかんのやと。あかんときは何をしてもあかん。自分の身を第一に考えて、逃げるときには精一杯逃げることも必要なのだと思うのでございます。
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。時間の使い方は、そのままいのちの使い方です。自らが咲く努力を忘れてはなりません。
この本の内容ですが、本当にもう「なんでやねん、ばーか!ばーか!」と言いたくなるんですよ。置かれたところが腐海だったらどうするのかと。みんながナウシカのようになれるわけではないのです。クシャナ殿下が巨神兵に対して「焼き払え!」と命ずる気持ちも理解しなければなりません。
途中から『風の谷のナウシカ』の話を無理やりねじ込んだので論点がさっぱりわからなくなりましたが、言いたいことは「出されたものを食べなさい」ということです。
カレーを作ったことがある方は多いと思いますが、皮を剥いたり、切ったり、炒めたり、いろいろと大変なのです。しかも、煮込む時間も考えると結構な手間暇がかかります。炒めずともカレーを作ることはできますし、カット野菜を買ってくればある程度の手間は差っ引くことができますが、作るのが大変なのは否定できません。
「人の作ったカレーは美味しい」
この言葉は、私の相方が仰った金言であります。「置かれた場所で咲きなさい」などという言葉と違い、ぐっと重みがあります。
確かに、カレーを作ったことがある人は、あの手間を考えると「カレーを作るのは大変なのだ」と知っているのです。だからこそ、「人の作ったカレーは美味しい」と思うことができるのです。
「きみの作ったカレーが食べたい」とプロポーズする男がいるとすれば、カレーすら作ったことがないぼんくらさんだと言っているようなものですので、注意しましょう。
「きみの作った味噌汁が飲みたい」も同じことです。夏の暑い最中に味噌汁を一度でも作ったことがあるなら、そうやすやすと口にできることではありません。
ましてや「暑いからそうめんでいい」などと言う輩はボコボコにしても結構です。茹でるぞ!てめえ!と言い返しましょう。今日はやたらと口が悪い。合掌。